長渕剛の生い立ち!父親は警察官?母親の病院や名曲STAYDREAMの歌の誕生秘話についても

常にカリスマの地位に佇む長渕剛さん。

男らしく渋い存在感のウラに、実は幼少期から体が弱く、厳しい家庭環境から育った長渕剛さんがあることをご存知ですか?

先日テレビ番組でも語られた壮絶なエピソードをもとに、長渕剛さんの生い立ちから母親の闘病エピソード、あの名曲STAY DREAMの誕生秘話までみていきましょう。

強いメッセージ性に込められた熱い思いとは!?

長渕剛のプロフィールは?

 長渕剛さんは1956年、鹿児島県で生まれました。

父親は警察官で、母親、5歳年上のお姉さん、長渕剛さんの4人家族です。

実は長渕剛さんのお兄さんがいましたが、生後すぐに亡くなってしまったそうです。

長渕剛さんも生まれたときは仮死状態だったらしく、何とか医者に注射を1本打ってもらい命を取り留めました。

そして長渕剛さんは幼いころから咳喘息で、発作で病院にかかることも多かったみたいです。

小学校の頃は体育の授業を見学することもあり、体が弱かったようですね。

長渕剛さんは小学校は地元の鹿児島市立中郡小学校、中学校は鹿児島市立甲南中学校の出身です。

中学校では体が弱いながらもバスケットボール部に入部していました。

そして中学3年生のときに3000円のギターと出会い、長渕剛さんの人生が変わっていきました。

鹿児島南高等学校に進学した長渕剛さんはギターに熱中し、大学祭の前座でステージに上がったり、卒業までの3年間で300曲もの曲を生み出しました。

その後は九州産業大学に進学しますが、20歳の頃エントリーしたヤマハのコンテストで見事優勝し、デビューのオファーがあり長渕剛さんは本格的に音楽に道に進むことを決意します。

しかし父親は大学を中退しようとする長渕剛さんに猛反対し、殴ったというエピソードもあります。

警察官である父親として、学歴社会は厳しいものだと長渕剛さんに教えたかったのかもしれませんね。

それから1980年「順子」が大ヒットし長渕剛さんはスター街道を突き進んでいきます。

長渕剛の生い立ちが壮絶!貧乏、両親の喧嘩&母親の若年性認知症

長渕剛さんの幼少期はとても貧しかったようで、家族4人が四畳半一間で暮らしていました。

父親は警察官といえども当時の公務員はあまり給料が良くなかったようですね。

そのため母親も栄養不足で母乳が十分に出ず、長渕剛さんは母乳の代わりに米の研ぎ汁で育てられたそうです。

家計が苦しいことが火種で両親は頻繁に言い争っていたようで、父親が母親を叩く場面をみていたんだとか。

両親の喧嘩ほど記憶に残る喧嘩はありませんよね。

当時の様子を長渕剛さんは「無学が悪いという憤りで家庭の中が爆発していた」と話しています。

そして長渕剛さんが名曲「純恋歌」でデビューし、続く1980年の「順子」でオリコン1位を獲得するなど華やかなスター街道を駆け抜けていたころ、母親の末期大腸がんが発覚します。長渕剛さんは25歳でした。

手術は成功しましたが、その後母親は強い抗がん剤の服用が原因で若年性認知症を発症します。

日に日に症状が進行する母親の介護と音楽活動で長渕剛さんは心身ともに疲労がピークに達していました。

コンサートや収録でただでさえ多忙なはずなのに、介護も加わるとなると長渕剛さんの負担は図り知れませんね。

その後、癌の告知から10年間、母親の闘病生活と長渕剛さんの介護生活が続いていきます。

長渕剛さんは自宅での介護も考えますが、当時長渕剛さんの子どもが生まれたこともあり、病院にお願いすることになります。

このとき長渕剛さんは、「母ちゃんは俺が子どもの頃、抱きしめてくれたのに、俺はこんなことしかできないのかと苦しかった。どうやってバランスをとったらいいか分からなくなった」と自責の念から涙を流したそうです。

その後母親は2000年8月12日、急性心不全により享年72歳でこの世を旅立ちました。

生と死、人生の現実を身をもって教えてくれた母親を思って長渕剛さんは名曲「MOTHER」を作ったそうです。

名曲・STAY DREAMの誕生秘話とは

母親が末期大腸がんになり、その後若年性認知症が発症してから、過酷な介護生活と音楽活動の両立は徐々に長渕剛さんの体を蝕み、とうとうツアー中に倒れてしまいます。

治療をお願いするために東京中の病院を駆けずり回り、手術をした母親の看病に日々追われていた長渕剛さん。

心身ともにボロボロになり、ある日引退を考えながら失意の中自宅で引いたがむしゃらな電子ピアノ。

そこからひとつまたひとつとメロディーが次々と溢れ出て、ものの1,2分で出来上がった楽曲があの名曲「STAY DREAM」なのです。

「歌の世界から逃げ出したい…」と悲観した自分を励ますために生まれた曲だったんですね。

当時の壮絶な日々を過ごす自分を鼓舞する思いがいっぱいに詰め込められた一曲なのです。

まとめ

長渕剛さんの名曲「STAY DREAM」の誕生秘話はまさか母親の闘病エピソードだったなんて、意外でしたね。

壮絶な環境で育った長渕剛さん、強いメッセージ性はそんな長渕剛さんの思いが込められているのかもしれません。

こういった背景を思い浮かべながら長渕剛さんの曲を聞いてみると、また違ったメッセージが訴えかけてくるかもしれませんよ。